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L'Art des émaux (1)

釉薬の本(序)
2005
7月、今まで通っていた陶芸教室を買取って、生徒から経営者になりました。
陶芸教室を始めて一番困ったのは釉薬でした。受け継いだ教室にはファイアンス土(900度焼成)用の釉薬が、7~8種類しかなく、1年くらいはファイアンス用の既成の釉薬を買ってきて繋いでいました。しかし拡がりが無く、全く面白くありません。当時、2005年のフランスの陶芸教室は、ほとんどがファイアンス土を使って、950℃前後での本焼成だったのです。

丁度、セーブル美術館併設の学校で2週間の炻器(Grès/1250度焼成)用の釉薬作りの講義実習の募集があり、早速応募して通い始めたのですが、この講義実習は実のところ難しすぎて、毎晩、明日は辞めようと悩みながら、講習料の440ユーロがもったいなくて、何とか最後まで通いました。実習はとても楽しかったし、クラスメートの陶芸家たちも親切で、久々に学生気分を満喫したのですが、何も理解出来ず、じっと我慢して座っていたと思います。
クラスメートのフランス人陶芸家達は、もっと深く陶芸を追求したいと模索している最中で、そのお手本と憧れが日本で、日本人の私はクラスの皆に羨ましがられました。その後パリ郊外のイザベルさんの短期研修1週間で勉強し直し、2回目なのでセーブルよりもよく分かりました。
参考に日本の釉薬の本も買いましたが、日本の釉薬原材料とフランスのものは全然違っていて、レシピー通りに調合してもうまく行きません。また、日本の原材料は松灰とか福島長石、弁柄....とかの表記で、科学的な表現や説明が少なく参考になりませんでした。むしろイギリス人エマニュエル・クーパーの翻訳本「陶芸の釉薬入門」は、今読むととても良くわかります。

まず、教室で使っている土をファイアンスから炻器(grès) に変えるのに半年かかりました。古い生徒達の反抗は聞き流して、取敢えず20069月の学期始めから決行、釉薬はベースの10種類から出発しました。焼成温度が適当でなかったり、流れたりぶくが出たり、それでも、講師と生徒たちは嫌な顔もせず励ましてくれました。涙が出るほどうれしかったこの励ましは、その後の私の大きな力になり、現在に至っています。
先生と生徒たちを啓蒙するため、これは、私自身の為でもあったのですが、日本へ陶芸旅行を企画、2週間の長い旅行でしたが、私も含めてもう驚きの連続で、フランス人にとっては正に陶芸に対する発想の転換でした。そして効果的面、どうしようもなかった陶芸教室のレベルがアップし始めました。

ところで、釉薬本を出版したフランス人は「ダニエル・モンモラン師」しか見当たりません。Frère Daniel Montmollinは、ブルゴーニュ・テゼ修道院の修道士で陶芸家、今年99歳(1921年生)、お元気です。とても気さくで上品な方で、まだまだ現役でご活躍です。
フランスで出版されている釉薬本は、イギリスやドイツの研究者の翻訳ばかり、フランスの陶芸の地位の低さがわかります。信じられない事ですが、美術大学に陶芸科がないし、 研究所も少なく、陶芸雑誌は1種類しか発刊されていません。

現在、フェイスブックのグループやユーチューブで世界中のたくさんの人が発信しています。15年前には考えられないことでした。

そんな状況の中、フランスで陶芸教室をやってノウハウも少しばかり溜まってきましたので、釉薬の本を書くことにしました。
あくまでも私の釉薬です。窯や土が違うと結果は変わってきますが、私のレシピを元にフランスで、高火度焼成の様々な釉薬が増えてゆくのを楽しみにしています。